Friday, June 16, 2006

ファミレスに入ったつもりだったけど、Wendy'sはハンバーガーのチェーン店だった。

1950年代のケージの書簡類(火災で焼失したので136個ですんだ)を読んだ後に、今日から1979年の書簡類を読んでいるのだけど、ケージが、色々な団体から色々なお願いをされていて、認知されてきていたんだなあ、と思った。僕はケージ信者ではないけど、でも、1979年の段階でも、ケージは、田舎の学部生の、ケージの本を読めばすぐ分かるような質問の手紙にも答えていて、すごいなあ、と感心した。
そして、相変わらず、ごみみたいなものも全て保管している。自分が出した電報の写しを記録として保管するのは、まだその理由が理解できるけど、チラシの裏にメモした誰かの住所とか、タイプし損ねた手紙も保管する理由は、何かの強迫観念とかフェティシズムとかしか思えない。まめなのでそれなりに情報が保管されるので、ありがたい時もあるけど、でも、調査研究時間の大半が、この手紙は読む必要があるかどうか、と振り分けるために使われている。かぜひいてるし、疲労する。
量が膨大なので、ONCE Collectionの調査は無理。というか、Cage Collectionも終わるかどうか分からない。NorthwesternとNYPLには今後もぜひ来たい。

大竹まことの少年ラジオにやっとイッセー尾形が出てきて、大竹まことと同期らしく、the Sunは8月公開らしく、イッセー尾形より大竹まことのほうがよく話していた。まだ同期の会話はいいや、と思った。

NataliaとHarukaに会えた。なかなか数奇な人生を送っているなあ、僕も。と、倒置法で思ったのであった。HarukaはJapanese Americanでもなく、日本人だった。もう読み書きは英語のほうが慣れているらしいけど、会話は、しっかりと日本語だった。日本語が普通に通じる人間と英語で話すのは、ふと、奇妙な気分にもなる。RIがある町だからもっと大きいと思ってたのにEvanstonは小さな町だったのだけど、RIの建物はゴージャズな建物だった。$25,000以上寄付した人の写真が飾られていて、日本人がすごく多くて、ついつい、ちゃんとサイエントロジーと発音できるか試してみたかったけど、しなかったのであった。

EvanstonでWMとRoaratorioの調査をしている間、K姉ちゃんに車を貸していたのだけど、今日、フィールドに出かける時、トランスミッションとやらが壊れて、動かなくなったらしい。修理すると$1000かかる場合もあるらしい。事故とかにならなくて良かったけど、この土壇場になって…。Tくんになんて言おう。$400を超えたら、廃車、ということにしておいた。とりあえず、19日以降、車を使えない…。
これ、車だけの問題じゃなくて、車と一緒にTくんにあげようと思っていた諸々のものの処分や帰国準備の方法も再検討しないといけない、という話で、Tくんの飛行機チケットの問題にもなって、しかし僕は、すぐに動けないのであった。
突然、WZが突然に終了するようになった。Davisに戻らないと再インストールができない。このラップトップには、他のエディターを入れてない。他のファイルではそうならなかったので、普段使っているファイルが大きくなりすぎたみたい。TXTファイルで500kb超えてたし。なので、分割した。


とりあえずTくんに連絡して留守電を残してたら、その間にK姉ちゃんから留守電が入っていて、廃車手続きをしてしまったらしい。方法聞いといて、とは言ったけど…と思ったけど、廃車してしまうのが良いのかもしれない。所有者じゃないのに、なんで廃車手続きできるんだ?
車がなくなった。
車がなくなった。
車がなくなった。
車がなくなった。
車がなくなった。
保険の解約は、ここではできない。
というか、ここではほとんど何もできない。
Archival workの最中はものすごく集中するのだけど、全く集中できなくなった。
Davisに戻ってから、色々、どうしたら良いねん。
というか、どうしたら良いねん。

そして、EvanstonのダウンタウンでFree spotがあるところに入ってメールチェックだけしたところ、奨学金の返還猶予が認められない、という通知が来た。言われたとおりの書類を揃えたのに。
ここから日本に電話できない。
ふんだりけったりとはこのことではなかろうか。(反語)

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