Source: v4, issue8
Ed Kobinという作曲家が、HPSCHDのメイン・プログラムのI Chingを改変した作品を作ったらしい。
Lowell CrossのLaser worksは、1965からaudio sourceをもとにヴィジュアル作品を作り始めたらしい。幾つかの作品でTudorのために作品を提供した後、3/5/1968のReunionの演奏 時に、Tudorから、audio signalをテレビにアウトプットできるかどうか聞かれたらしい。で、数日後、そういう作品を始めて披露したみたい。
「editorial」で「Is the quarteto dead? yes」と「But is it music?」と「music is deade - long live music」と問いかけている。どれも、Larry Austinの名前でN.Y.Timesに掲載されたらしい。
音楽=芸術、芸術=自己変革だとすれば、「音楽=自己変革としての芸術」か?という問いと、音楽教育における音楽=「過去の音楽が現在の社会において占め る機能に基づいた教育」と「現在の音楽」とを区別する立場は、分からなくもない(音楽学とは、ほぼ、音楽(美学)史学のことだし)が、「音楽=芸術」とい うことを自明の前提とすることは、間違えているのではないだろうか、と思う。「芸術=高尚なもの」という観念に歴史的経緯が存在することを指摘して、そう いう観念を相対化するという作業も必要なんだろうけど、これは、もう、そんなにしつこく行う必要はないはず。ここで言われる「今の音楽」のほとんどが、明 示されることはないけど「ハイクラスのための音楽」であることが「ポピュラー音楽学」を要請すると思うけど、何がなされても、「音楽学」の内側に留まって しまう気はする。というか、何がなされても「芸術」学の内側に留まるんだろう。僕は、「音楽学」とは距離を取れる(予定)、ってのは、ありがたい。ただ、 今日気付いたのだけど、TCSの「History of Sound in the Arts」って授業は、今年はないらしい。
芸術なんか嫌いだ。
Saturday, October 22, 2005
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