Tuesday, October 18, 2005

American Beauty

すばらしかった。

な ぜか勝手にソフトがインストールされた。PC Friendly DVDとInterActual Player。これをインストールしないと音声が出力されないと思ったのでインストールしたけど、音声が出力されないのは、2.0 Dolby何とかかんとかにしなかったかららしい。subtitleは大きいので、subtitleは使わないこと。まあ、何となくでも分かるので良いだ ろう。でも、もうちょっとゆっくり話して欲しい。再生始めのDVD-Driveの音はけっこう大きいので、要注意。

「You're totally ordinary and you know it.」と言われた女の子が、最後に「You're the most beautiful thing I've ever seen.」と言われる、というのは、良い終わりへの持って行き方だと思う。BGMはAnnie Lennoxがカバーしている「Don't let it bring you down.」。
ビデオ・カメラの中に捉えられた映像が 「beauty」ってことだったらしいので、この映画もカメラで撮影されたものなので、そういう入れ子構造を強化す る小道具だったらしい。「the most beutiful thing」は風に舞うビニール袋(the bag is dancing with me.)で、冒頭に出てくる映像はこれらしい。「the most beutiful」というフレーズだけで、元プリンス(ラブシンボル時代)のシングルを思い出す。これ、良い場面やなあ。
「potを吸っている場面」のBGMはぼぶでぃらんの「みはりとうからずっと」。最後のタイトル・ロールの「Because」はE.Smithのカバー。
「American Woman by The Guess Who」ってのはヒッピー・ムーヴメントで大流行りしたものでBrendaも大好きらしいけど、気分が高揚した時に聞く音楽らしい。こういうミソジニーの 文脈が「女性」にも受け入れられていた、ということが、60年代の市民権運動にセンチメンタルな香りを与えていると思うけど、「真の意味での男女同権」が 可能な運動が可能だとは思えない。

僕は、最初の一時間を見ていなかったらしい。こんな最後やったっけ?僕は、臨死体験は、しなかった。Annette Benningというのは、妻のことだったらしい。ヘッドセットで電話するのは楽そうだと思った。

「Today is the first day of my rest life.」とか「We used to be happy.」とか「You cannot count on anyoe except yourself.」とかは、はりうっどな映画の琴線に触れる言葉だろうと思う。「I will serve house today.」というのは、今日は大掃除、という意味らしい。たぶん。で、「This living is dramatical.」とか言うらしい。
「Are you epecting anyone?」というのは「誰かお客が来るのか?」という意味で、ゲイカップルの存在を予想さえしない、ナチスに絡んでいた元軍人の父親は、朝食時に笑 いながら「This country is going straight to the hell.」と言うらしい。

仕事で失敗した夫/父親が青春時代に回帰していく物語、と言える気もするけど、あらすじの作りにくい物語だなあ、と思った。
娘の同級生に一目ぼれする父親。すごく面白い。夫婦仲が冷え切って妻を罵倒した後に微笑む夫とか。自分の国の話なのに、なんでこういうものの見方ができるんだ?そして、なぜ、次作が「Road to Perdition」だったんだ?
Drugにはまった過去のある、今も売人をやっている高校生のpsychoは、カメラに把握される「自分の映像」と「自分」を同一視できないことが当然のキャラクター、という設定なのだけど(たぶん)、こういう設定は、保守的に面白いんだと思う。
恋するとベッドにバラの花びらが降り積もるらしく、Kissの残り香もバラの花びららしい。

「恋 愛的瞬間」(とりあえずそう呼んでおこう)の映画のBGMは、いわゆる「えすにっくさうんど」だと思うけど、音色は電子音。この「えせえすにっくさう んど」が「非現実的光景」の描写に使用される映画だからこそ、この映画のタイトルにはAmericanが付されるんだろうけど、Americaってのは、 ブラジルもカナダもアルゼンチンもメキシコもその他諸々の国も入るはずではないだろうか、と思ったりもするのであった。
BGMの音源が視覚的に提 示されないと、「映画のBGM」と「物語場面のBGM」との区別はできない。こういう提示方法そのものが、ある種の社会的文脈の 産物(映画的物語手法の一つというだけでなく)であることを語ることができれば良いはず。BGMじゃなくelevator musicって言ってた。
「ビデオカメラで何かを撮影している画像」がけっこう出てくるのだけど、ズーム・イン・アウトのネジの音とかよりも、映画のBGMとしてのピアノ曲のほうが大きな音になるらしい。

6 comments:

Anonymous said...

わたしも American Beauty 大好きです。でもここでそれについて長々書くのはコメント欄荒しになるので、自分のブログにかいて、トラックバックを送るべきというのが昨今のマナーのようですが、やりかたが分からないので、そのうち自分のところで書こうと思う。
所謂「モヒカン族」からすればこのコメント自体が「粘着」と云われかねない行為と思われる程度にはキャッチアップしていますが、それ以上になる必要を感じないので。こんなところで。

中川克志(NAKAGAWA Katsushi) said...

コメント欄、荒らしても良いですよ。なんなら、このブログに書き込む人(「チームメンバー」と言うらしい。contributerで良いじゃないかと思うのだけど。)になっても良い。たぶん、僕は、申請してくれた人は誰でも承認します。と言って、誰も申請してこなかったけど。
はてなと違って、デフォルトはコメント欄が見えないので(見えるようにする設定はない気がする。だから、いちいちクリックしないと見えないので、見ない人は見ないし、書き込む気がなくなった人もいるみたいだし、逆に書き込むようになった人もいるみたい。僕には、コメントが投稿されるとメールでお知らせが来る。)、「荒らし」ってのは難しいと思う。
ただ、これ、GoogleのBloggerってブログなのだけど、トラックバックを装備してないみたい。送ったり受け付けたりもできないみたい。エントリにタイトルをつけることはできるけど、僕にはその方法が分からなかったりします。

「モヒカン族」って何だ?と思ったので調べてみたのだけど、これとかこれなのか。「詭弁と例え話と断言を使いこなす」「技術原理主義者」って、山形浩生を読んでいる時の僕みたいだなあ、と思ったのだけど、これ、たぶん、コミュニケーション様式の違いを言い表す言葉なんだろうなあ。
「赤の他人」とコミュニケーションする時に必要なコミュニケーション様式を「赤の他人ではない(と相手は考えている)他者」に対しても適用することは、「ムラ社会」では「無礼な行動」とみなされる、とか。日本ではけっこう通用するキャッチ・コピーなんだろうなあ、と、何人かの顔を思い浮かべました。

Anonymous said...

あんなに(てどんくらいだよ)TBだのなんだの盛り上がってんのは日本だけなんかなあ。
あとなんだか新しいネーミングをするときに、しかも割とネガティヴなイメージ付けをするのに、実在の部族の名前を使ったりするのがポリティカリーにインコレクトだってことに気づかないのも日本ローカルだ。ネットって意外に狭い。

中川克志(NAKAGAWA Katsushi) said...

トラックバックって盛り上がってたのか。最初、何のことだかさっぱり分からなかった。
たしかに、「モヒカン族」なんて言い方は、分かり易くpolitically incorrectなので、USAじゃあ絶対に使わないと思う。「日本アパッチ族」とかも。
ネットが狭いというより、出版業界とか放送業界も含めた「日本語」の壁に守られている世界が狭い、ってことだと思うけど。ひいては、「日本」はローカルで狭いけど、「日本」はその狭さを自覚する必要もないくらいに閉じこもっていることができた島国だ云々という話になるんかな。

ただ、英語圏でも、「PCじゃない」言葉は「PCじゃない」からって理由で使わないだけ、という気もする。僕の知識によれば、人は差別意識を持たないと生きていけないので、「his」だけとか「her」だけじゃなく、できるだけ「her/his」とする、というのもPCであろうとする努力なのだろうけど、いわゆる「慇懃無礼」に見えてくる。
ほんとにPCであろうとするなら、もうちょっと英語でイラクの状況も分かるはず。イラクの状況は、日本語のほうが簡単に詳しく手に入ります。たぶん、大半の「アメリカ人」は、ある程度努力して情報を集めようとしないと、イラクで民間のイラク人とか「第三国」の人間(いわゆる下請けをやってる出稼ぎの人たち)に死傷者が出ていることとかを知る機会がほとんどないと思う。

Anonymous said...

PCの醸し出す虚無感/圧迫感てとてもUSA的に見える。それは "American beauty" の前半部分(ケビン・スペイシーが壊れ出すまでのあたり)を見ながら「あーあ、アメリカ人に生まれなくて良かった」と思ったことと繋がる。
でもってFoxだけとかNYTだけとかしか見ない人というのは、日本では朝日だけとか産経だけしか見ない人と同じなので、単に人口比の問題かもとも思う。
司書としてクライアントに参考文献を提示するときの作法は「互いに対立する見解を示すような複数の文献を提示し、利用者の選択の幅を広げること」。ある意味丸投げなんだけど。本来は図書館に置く新聞は最低5大紙ぐらい押さえて置くべき。もうこれは義務といっていい。ところが、予算が削減されて1紙に絞れ、となったときに朝日をなんとなく選ぶ雰囲気というのは本当に職業的に嫌だ。辞めたくなる。辞めたら負けだから辞めないけど。
ああ、だから「暗いニュースリンク」とかhttp://d.hatena.ne.jp/finalvent/とかhttp://d.hatena.ne.jp/Soreda/をアンテナにいれてんだな、わたしは。

中川克志(NAKAGAWA Katsushi) said...

「暗いニュースリンク」は、特に最近、便利。あと、僕はカート・ヴォネガットが大好きなので、元気そうな姿が見れて嬉しかった。

抑圧的な雰囲気が存在しない「国」ってないと思うけど(「国民」がそれに気付くかどうかはともかく)、「外国」の抑圧的な雰囲気は、分かりやすいんだと思う。で、「外国」の非抑圧的な雰囲気も分かりやすいんだと思う。
なので、僕は日本で生活していくつもりなので、USAでは人種差別が結構あからさまなのとか、北欧は福祉制度が発達していることとかは、「分かりやすい」ので、好きです。「なんとなく物事を進める」のは、マイノリティの意見を無視することだと思うので、けっこうしんどい(で、「なんとなくでもマイノリティの意見を取り込んでいる」とか言われるのはしんどい。)。

「暗いニュースリンク」をアンテナに入れてる時点で、マイノリティだと思うのだけど、マイノリティは「負ける」ものだと思うので、そういう自分を勝ち負けでは判定しないほうが良い気がします。勝つことを目指すマイノリティは、最終的にはマジョリティになりたいのだから、下手すると、自分探しとか、誰かを謝らせることによって自分のプライドを満足させたい左翼運動家になってしまう気がする。
ただ「挨拶する時にも決して人から目を逸らさないこと」とかを親から叩き込まれてきた黒人とか、生きていくためにはそういうメンタリティが必要な人間はいっぱいいると思うけど。そういうのを知ると、「日本は単一民族で構成されている」とかいう幻想で覆われている国に生まれて育ってきたのは、ラッキーだった、と思います。

自分とは基準の異なる他者とのコミュニケーション方法を勝ち負け以外の基準に探る、というアイデアは、なかなかナイスなアイデアではないだろうか、と思う今日この頃。僕も、街で噂の「こすもぽりたん」になれるかもしれない、とか。

研究者の卵としては(僕はまだ「卵」)、司書さんには、色々なことを丸投げしてもらう方が好ましいです。何をされても「僕」の責任にしかならないし、そういう立場にいたいから研究者を目指したので。