Thursday, May 04, 2006

Brian Eno & David Byrne - My Life in Bush of Ghosts

My Life in the Bush of Ghosts
名前を聞いたこともなかったと思うけど、名盤扱いされる代物だったらしく、オリジナルとは収録曲や曲順が若干違うらしい。3月にDougにこのアルバムの名前を聞いて、0411にリマスターが出た。
1981年の代物で、No New Yorkが1978年らしく、Talking HeadsのFear of Musicというアルバムを作った後、ワールド・ツアーを終えた後で、Fourth World vol.1: Possible Music by John Hassell and Brian Enoとやらの後らしい。David Byrneは、主に、post-punk disco guitarで貢献しているらしい。演奏者の中で知っているのは、Bill LaswellとR.Fripp。Bill Laswellはこのころどういう位置にいたのかは、忘れた。L.A., S.F., N.Y.で録音されたらしい。
日本で買えるものはUS盤ではないので何かの曲が足りないらしいけど、HP(http://bushofghosts.wmg.com/home.php)がすごい充実している。何曲かCreative commonsがどうしたこうした、というコピーライトでダウンロードできる。Remix盤(盤?)はまだらしい。

ライナーノートを書く練習をしてみよう、と思った。

とりあえず、英文ライナーノートからのメモ:David ToopとDavid Byrneの二人の文章がある。

David Toopの文章から:
1952年にロンドンで出版された、Amos Tutuolaという人のMy life in bush of Ghostsというのがあるらしく、60-70Sのアフロフューチャリズムの流れの中で言及されてきたものらしい。
1979年にEnoはタイにサヴァティカル(休暇?)に行ったらしく、その時、この小説のaudio novelのようなものを聞いたらしい。そして思いついたのは、radio voiceを音楽に用いる、というアイデア(なのでRadio Sumatraの時にDougが言及した。)。Enoの個人史を遡ると60Sにまで行くらしく、アヴァンギャルド音楽のコンテクストの簡潔なまとめもライナー・ノートにはある(すぐに思いつくだろう、ライヒの初期テープ作品とか)。ただし、D.Toopの時代のコンテクストのまとめ方には、1920Sのthe explosion of sound cultureが組み込まれていない(あるいは、そんなものは、WWII以降のアヴァンギャルドの展開そのものに組み込まれていないのだから、トゥープのまとめ方自体はおかしくない、ということかもしれない。しかし、ダダとかバロウズとかのvocal experimentsが組み込まれていないのは如何なものか。)。

David Byrneの文章から(いちおうBrian Enoもこの文章の責任者的に名前が入っているけど、たぶん、David Byrneの文章)から:
当時は「ワールド・ミュージック」はなかった(たしか80Sの途中から?うろ覚えだ。)けど、B.EnoとD.Byrneはアフリカ・ポップへの関心を共有していて、Ocora Labelというのが素敵だったらしい。
最初はJohn Hassellも一緒に、a series of recordings based on an imaginary cultureを作ろうとしていたらしい。互いに知らないまま、CANがEthnic Forgeries(何か知らんけど)を始めていたらしい。
そこに、B.Enoがthe found vocal ideaを持ち込んで、CAに行ってアイデアを練り始めて、imaginary cultureのプランはやめになったらしい。
で、L.A.で会ったToni Basilというダンサーのテレビ番組のために(番組自体は実現しなかったらしい)、another subtextとして録音をしたらしい。「ダンス」のコンテクストの中では、ダブやextended mixesの影響が出てきたころだったらしい。
当時はサンプラーもなかったし、2台のテープ・レコーダーで作ったが、found vocalはplayしたらしい(演奏にあわせて再生するタイミングや音量をはからないといけなかった、とか、そういうこと)。特徴的なsonorityが出てきたらしく、バンドで演奏しているみたいだったらしい。
1980にpermissionを得る作業を始めた。今では普通の作業だけど、当時は、こういうかたちでの素材の使用許可を得る、というのは珍しかった。
David ByrneがA.Tutuolaの本に出会ったのは、N.Y.に戻って、色々な作業を終えた後らしい。


で、書く必要がある、と思ったこと:
1.基本的なデータ:発売当初の反響、演奏者、website、等々
2.録音に至る経緯:最初はa series of recordings based on an imaginary cultureを作ろうとしていた。
3.found vocalというアイデア:Radio Sumatraについて
4.このアルバムの歴史的位置付け:
 「ワールド・ミュージック」というコンテクスト:
 アヴァンギャルド音楽のコンテクスト:D.ToopとD.Byrneの位置付け方の重点の違い
 hip hopのコンテクスト:サンプリング、コピーライトの先駆者という位置付け
 ダンス音楽のコンテクスト:ダブ、extended mix
 トーキング・ヘッズあるいはDavid Byrneのコンテクスト:
 No New York以後のB.Enoのコンテクスト:英文ライナーノートにはB.Enoの視点が少ないこと


そして気づいたこと:
僕は、「ワールド・ミュージック」、「ダブ」、「トーキング・ヘッズ」、「No New York以後のBrian Eno」について、あんまし知らない。
3と4を入れ替えて、アヴァンギャルド音楽との関連を強調すれば、何とかなるだろうけど、このアルバムの「影響力の広さ」(どのくらい影響力が広範囲に及んでいたのか知らないけど)に言及できない。
ダブって何だ?

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