去年、このSafewayというスーパーのそばで、帽子を買った。$5の中国製の。昨 日、初めてBOOWYの曲をちょっとまともに聴いてみたのだけど、確かに売れそうな曲たちだなあ、と思った。「季節が君だけを変える」か。「自分=聞き 手」が変化しないことを肯定しつつ(これは「変わる君」を見つめる「自分=聞き手」を肯定する歌なのだから)、「自分=聞き手」が変化する可能性も確保し ておいてあげるのだから(これは「変わる君」として位置づけられる「自分=聞き手」のために歌われている歌なのだから)、「聞き手=自分=君」にとっては 快楽的な言葉だろう(「自分=聞き手」は、「変わる君」にも、「変わる君」を見つめる「自分=聞き手」にもなれるのだから)、と思った。この声が「セク シー」に聞こえる文化圏はあると思うけど、日本の一部の文化圏以外ではそうは聞こえない場合が多いと思うのだけど、そう聞こえない理由(とそう聞こえる理 由)を説明するのは(日本語でも)ちょっと難しいかもしれない、と思った。のだけど、僕は、そういうあんまし役に立たないことを説明することをあたかも役 に立つことであるかのように(自分も含めて)色々な人に信じていただくことによってお金を稼げる人間になりたいと思っていることを思い出した。なので、バ ルトのように「声の肌理」を語って済ますのじゃなくて、「声の肌理」のヴァリエーションを「分類整理」しないといけないはず。まだ、社会の役に立つ程度の 人間なんかになってたまるか、と思えてる。そういや、そう思って「文学部」を受験したし、「哲学科」に入った。

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