Monday, August 15, 2005

こっちでは、タバコにニコチンとタールの量を表示していないので、とりあえず、マルボロのうるとららいとというのを吸っているけど、一日に半箱までは減った。
「キンゼー・レポート」って何だ?
ブッシュ再選についてどう考えておくべきかあまり分からなかったのだけど(カリフォルニアではケリーが勝ったはずだし、僕は基本的に大学関係の「リベラ ル」な人とばっかり付き合うはずなので、ブッシュ支持の人がどういう人かあまり想像がつかない。)、中西部の人々が「都市の持てる層によるリベラリズム」 へ積極的な「ノー」を突きつけた、と考えておくことにした。ただ、平和とか民主主義とか自由を主張する人間が対立する人間を「悪」と主張しても意味がない ということを、人は学んだはずだ、と考えておくことにした。ホワイト・バンドに安心する人間みたいなもんで、自分が恵まれた人間であることを自覚していな い人間の主張は傲慢でしかないと思うので。
すんごいヒット数を記録するほどアメリカの「リベラル」がカナダ政府の移民受け入れ関係のホームページを見ていた、というのは、両国間の規定によって、お 互いの市民には自動的に永住権を与えることになっているかららしく、「アメリカに絶望したリベラル」が「カナダに亡命しようとしている」ということを示す 逸話だったらしい。反骨精神やら感情論では何も片付かないのだけど、みんな、敗北感やら絶望感をどう処理したんだろう?
何故と問い続けてトラブルに陥るよりは、どうすれば良いかという答えを追い求めた方が良いとは思うし、全ての問題に答えを持っている人はいないし、完璧な 世代なんかないとは思うのだけど、最近、僕も「世代」を意識し始めている、ということには気付いた。まず、「議論の前に何らかの共通文脈を構築すべきだ」 という倫理は、どの世代の倫理なのか考えてみよう。自分の弱さを神様に何とかしてもらって、結果的に「安心」して自分を多数派と信じることにより、少数派 を「悪」呼ばわりする、という心性は、プロテスタントに限らないとは思う。追い詰められた個人が自分を責めるのではなく、自分を被害者とみなすことは慰め となるだろうけど、それは同時に、他者を悪者呼ばわりすることになると思うし、それは、一種の責任転嫁の論理として思っておけば良いと思うけど、それが集 団心理に発展している場合、そういう自己正当化の論理とどのように付き合っていくかを考えてみよう。

No comments: