Wednesday, August 10, 2005

90年代手前頃に問題になったらしい、embryo (= frozen eggs)はlife (of human beings) or notの司法判断にまつわるケースを、緑の芝生の上でみんなでdebateする、という絵に描いたようにアメリカンな授業があったりするのだけど、こうい うヘビーな話題をケース・スタディの材料にできてたら、そりゃ、口達者になるよなあ、とか、けっこう普通に日本人らしく思った。頭の練習にはなる。ナイー ヴであることは必ずしも美徳ではないので、こういう勉強方法はけっこう役立つと思うのだけど、僕は、基本的に、ある種のissueに潜在するイデオロギー 的要素や、そのイシューを構成する言説構造の存在様態そのものに興味があるので、あんまし、こういうdebateで何かを主張することは不得意なのかもし れない、と思った。
とりあえず、僕は、the potential life or the life of the organismとthe life of human beingsとは厳密に区別すべきで、human beingsのためには、ある種の緩衝地帯としてthe area for something which can be named neither as human beings nor just as the materialを法的に確保しておくべきだ云々ということを言ったのだけど、あんまり誰のシンパシーも得られなかったので、この問題にどのようにアプ ローチするか、明日までに何か考えておかないといけない。確かに、このアプローチは、現実的には「どこを」人間と有機体との境界線とすべきか、という問題 に資するものではないし、医療技術の進展と 倫理的問題と法的問題の絡み合いに関する何らかの方向性を決めるものでもない。あと移民問題についても何か考えておかないといけないみたい。
初めて、I voted for Mr.Bush because he is a cowboy and I'm also a cowboy. And I'm against the homosexuals.と断言する人に会った。
面倒くさいので、ふるぶらいと奨学生のAliが「lead」してくれたら良いなあ、と思った。この14人中ふるぶらいとな人が3人いるので、それでけっこう議論は回ると思うし。そしたら、ただそれに追従するのに。

2 comments:

Anonymous said...

ナイーブは英語だと悪いイメージ。
世間知らずとか、ほとんど馬鹿とかそういう感じのような気がする。

中川克志(NAKAGAWA Katsushi) said...

ほんとにそうで、日本語的なナイーヴな雰囲気(遠慮する、とか、意見を言う順番を人に譲ってあげる、とか、感受性豊かで繊細な感じ、とか)を出してたら、ただの馬鹿にしか見られないと思うのだけど(僕は日本人だけど、まだ頑張れてるので、そういうのを見ると、ちょっとかわいそうになる。いつまで続くかは不明。そろそろ面倒くさくなってきた。)、アジア系の若者たちは、たぶんみんな10代前半くらいに見られてるので、許されてるのかもしれん、と思った。まあ、お金を落としてくれる大事なお客様やし。祖国が経済大国って良いことだなあ、と思った。頑張れ、びじねすまん!
僕にも「Posted by Anonymous to I'm alive.」としか分からないので、まあ、適当にしといておくれ。Bloggerはコメント欄が面倒くさいなあ。